公開: 2023年4月12日
更新: 2023年4月12日
100年戦争で、ジャンヌ・ダルクを捕虜にしたイギリス軍と宗教裁判を主導したフランス人神父は、最初、ジャンヌが「神から啓示を受けた」と言っていたことが、嘘であったことを理由に、「ジャンヌが魔女である」と主張しようと考えていました。しかし、捕らえられたジャンヌは、この質問に対して、とても注意深く答え、「啓示を受けた」とは、最後まで言いませんでした。これについては、無学な少女が自分で考えたとは思えないほど、知的な対応をしました。
ジャンヌから、「天使を見た」や「神の啓示を聴いた」などの証言が獲れなかったため、宗教裁判では、ジャンヌが認めていた「兵士の鎧を身にまとって戦った」と言う証言に基づいて、カトリック教会が禁じていた男装の罪で、ジャンヌの処罰を決定しました。しかし、男装の罪では「火あぶり」の刑にはなりません。そこで、ジャンヌに罠を仕掛けました。罪を認めたジャンヌに軽い刑を科し、「二度と男装はしない」と約束させました。そして、ラテン語が読めないジャンヌに、「約束を破れば、火あぶりの刑に処す」ことを告げずにおきました。
数日後、独房の中でジャンヌが着替えをしようとすると、準備されていた衣装は、兵士のものでした。ジャンヌは、仕方なく、準備されていた兵士の服を身につけました。この小さな罠で、男装が見つかったジャンヌは、宗教裁判の判決を守らなかったと言う理由で、火あぶりの刑に処せられたのです。この数日間の出来事については、書記官が克明な記録を残していたため、後日の審議で問題が明らかにされました。また、この裁判に関わった神父には、宗教裁判に関わる地位に無かったことも、後に判明しました。ジャンヌの名誉が回復されるためには、ジャンヌが嘘の証言をしなかったことが重要でした。